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育ちの支援オフィス

かんごの木

メビウスの輪: 生きる (1)

研究で、生きること、死ぬことについて考えることが多い昨今です。重たく大きく難しいテーマなので、色々なことが頭の中にわいてしまいます。
そこで、研究の枠からはみ出てしまったことを、脱力しながら数回綴ってみようと思います。
    
「自分は何の為に生きているのだろうか」
私たちは、一度は、自らが生きる意味に対する問いを胸に抱く存在のように思います。
    
少なくとも、わたし自身は、自分が何の為に生きているのか、その理由を考えながら生きてきました。
いつからそれを考え始めたのかはわかりません。気づいたときには、そうなっていました。
わたしは健康でしたが少々変わった子どもで、日が暮れてからも一人で公園でブランコを漕いで考え込んでいることがあったと母に聞かされています。
そういえば、少し年上の女の子と「ごっこ遊び」をしたあと、夕暮れの公園で「なんのためにこんなことを・・・」と考えたことはあったように思います。
一緒に遊んでいた子たちが帰ったあと、宴の後のようなかなしさがあったのか、遊びの中でステレオタイプの生活を強いられたことのかなしさがあったのか・・・。
大人になってから思うことなどすべて後付けの解釈で、アヤシイものですが(笑)
   
さて、公園でブランコと言えば・・・
    
映画「生きる」を思い出します。1952年の作品です。とくに、若い方はご存知ないでしょうね。
黒澤明さんの作品で、志村喬さんという俳優さんが主演されているモノクロ映画です。
   
修士課程の授業の中で視聴したのですが、その後、この作品が気に入って、自宅でも何度か鑑賞しました。
   
少し紹介しますと・・・
   
お役所の課長である主人公が、書類にハンコを押して働いているシーンから物語が始まります。
まじめに与えられた役割にはまってただ働いている毎日、生きがいが無い単調な生活・・・
ある日、主人公は病を宣告され、余命が短いことを悟ります。
苦悩し、死にたくなる・・・けれど死ねない・・・。
そして、このままでは死ねない・・・と思い、「何か」をして生きている実感をつかもうとします。
結局、住民の要望だった公園をつくる仕事に打ち込み、子どもや母親たちに喜ばれる仕事をして世を去ります。
雪が降る中、完成した公園のブランコに腰かけ、主人公が最期をむかえるシーンは観る者の胸を打ちます。
    
命みじかし 恋せよおとめ
熱き血潮の 消えぬ間に・・・
    
ブランコのシーンの挿入歌(ゴンドラの唄)の歌詞です。
   
何故この歌を使われたのかはわかりませんが、
三番の歌詞「心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび来ぬものを」がこのストーリーに添う感じがします。
    
生きている喜びを自覚することは、生きていることが当たり前になってしまっていると難しいのかもしれません。
むしろ、「一体自分は何のために生きているのだろうか」と疑問に思ってしまうような、不遇や苦悩に遭遇してこそ、生きることの価値や、本当の意味での喜びを実感できるものなのかもしれません。
   
VEフランクルの「生きるとは、問われていること、答えること」は、近年の私自身にフィットするお気に入りの言葉です。
彼は、人生が自らに問いかけるのだ と述べています。
   
生きることの意味を問い続けてきた精神の軌跡を振り返ると、一体、何に向かってそのような問いを発していたのだろうかとあらためて考えさせられます。
   
何の為に生きているかなんて、どこにも書いていないし、誰も教えてくれません。
なので、自らに対して問うてきたように思います。
それは、もう少し詳細に言えば、自らに与えられた環境や資質をもって人生をひらいていく過程で、自らに問う作業だと言えます。
そして、その一連の作業過程を生きる自らを、距離を置いたところから俯瞰すれば、自らが人生に問われていると言っていいのかもしれないなと納得します。
   
「生きる」の主人公も、余命が短くなっている現実を悟り、苦悩することで、ようやく生きる喜びを手にすることができました。
自らを生きるために「したい」と思って懸命に打ち込んだ仕事。
その過程で燃やされた主人公の生命力が、亡くなった後も「公園」という成果物を介して、そこで人生のひとこまを過ごす多くの人に受け継がれたと考えることができます。
映画では、主人公亡き後の公園で楽しそうに遊ぶ子どもたちの様子が描かれています。
   
問われていることに応えるようにして、問いの答えを探しながら、ふたたび来ない今を味わい愚直に進む過程が「生きる」ということなのかもしれません。
   
そんなことを考えながら、今日という時間が、どんどん過ぎて行きます。
    
今朝、何を考えるともなく、愛車を運転していたとき・・・
突然、精神科でおなじみの「否定も肯定もしない」という言葉が頭の上から降ってきました。
その瞬間、その対応の本当の意味がわかったような気がしたのです。
しかし・・・
最初に言ったのは誰なのか、最初に言った人がどのような意味を込めてそう言ったのか、不勉強の私は知りません(笑)
知らないくせに「本当の意味」とは何ごと!?(笑)
   
もう少し考えましょう。現在の思索(研究)と関連があるのでしょうから。
    
今日も、北海道らしからぬ暑い日になりました。こんな記事を書いたのですから、せめて今日は懸命に生きようと思います。

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