ケアと生をみつめて
2020年10月7日
このウェブサイトで、Blogが使えるようになりました。
これを機に「ケアと生の世界観」を日常的なタッチで綴ってみたいとおもいます。
今日は、その趣旨を、備忘録的に書き起こしてみます。
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今年の春、20代から続いてきた「ケアの本質の探究」の第一ステージ(研究の部)が終わりました。
20年以上続いてきた研究活動は、高校2年生の頃から抱いてきた「人と人との間に流れる目に見えないものへの関心(問い)」に、ひとつの大きな解答を与えてくれました。
本質というのは、アンカーというか、軸というか、中心というか……うまく表現できませんが……(笑)つまりは、神髄とでもいいましょうか……普遍的なものを意味しています。
そんな大変なことに対する探究が、そう簡単に終わったなんて言えるの? と多くの研究者は大笑いされることでしょう。
わたしは、わたしという人間がひとりで抱えられる人生の規模を考えたとき、このレベルで「終わった」と判断してよいとおもいました。それは、自分なりにベストを尽くし、メビウスの輪のように振り出し(といっても裏側ですけれどね)に戻って来るような解答にたどりついたからです。
輪廻転生を想起させるような結論に、ひとりの人間として無条件に納得し、理論的な枠で人間を捉えることをやめる決心をしました。まぁ、無条件降伏でしょうね……(笑)
本来のわたしがもっとも大切にしているのは、現実をつくること、構成することですから……
学術的な知に囚われながら知識の世界にとどまるのをやめる潮時だったのだろうなと受けとめています。
本質は直接手にとることが難しいもの。
哲学説の多くがそうであるように、説明しようとすると非常に難解なことになります。
そのため、今度は、その本質を感得できる現実を構成することへの探究をはじめました。
これが、探究の第二ステージ(具現化の部)です。
そんな具現化のステージを生きる日常の中で、気づかされたこと、関心をもったこと、悩んだこと、考えたことなどを、ありのままに綴っていけたらいいな……と思っています。