クラスターを経験した事業所の皆さんの声をお聴きして思うこと
2020年11月25日
わたしの仕事の性質上、コンサルテーションの実績は基本的に非公開にしています。公開してしまうと、情報管理上のリスクがあるからです。
が、コンサルテーションで経験することは、私の内で咀嚼・消化して、お仕事に生かしています。(組織的なコンサルテーションの経験は、研究活動の一環として、研究職のときから積んできています。)
そんなわけで、表題の件も、伏せておこうかと思ったのですが……
コロナクラスターを経験している事業所(とくに医療や福祉領域の施設)が多数となっていることが気になり、現時点で、少しだけ言葉にしておこうかなと思い立ちました。
実は、クラスターを経験された特定の事業所に所属する方たち一人一人にお会いして、おはなしをうかがうお仕事を経験させていただきました。
わたし自身は、もともと産業精神保健が専門で、精神保健や医療に明るい保健師でもありますが……
このたびのお仕事では、あえて、「保健師」つまり「専門職」としてではなく、「利害関係がなく守秘をまもる外部の人」としてお話をうかがいました。個人情報はあえて管理者に報告しないという契約ですが、わたしがお話をうかがった結果、職場をどのように理解したか、管理者にフィードバックさせていただく形をとっています。
お話ししたいことを自由に話していただいていますので、純粋に胸の内につかえている様々なことが表出されます。
その中で、気づかされたことは……
コロナのクラスターを経験することで、大なり小なり、関係性の崩壊や損傷を経験されているということです。「関係」ではなく「関係性」という表現には、深い意味があります。
「関係性」というのは、関係の性質、つまり、質的で眼に見えない部分を意味しています。
そして、崩壊や損傷というのは、ネガティブな変化(変質)を意味しています。性質に崩壊というのはいささかミスマッチかもしれませんが……なんといいますか、それまで自分や他人などを捉えていた、ごく普通だと思っていたこと(概念)の崩壊という感じです。コロナでなくても、突然、それまでの価値観が通用しなくなるような極限状態を経験されたことがある方は、共感できる部分があるとおもいます。
わたしはそうした経験のうち、とくに厳しい経験を、時に「地獄をみた経験」と表現しています。
涙される方も多いですし、無表情でブロックが強い方もいらっしゃいますが、胸の中に何があるのかは、あえて聴きださないことにしています。中には、思いだしたくない方もいらっしゃいますので
こんなことをここに書くと、職場の問題を検討している方や、経営者の方々は、コロナで発生する特異な職場の問題! と思われるかもしれませんが……
わたしが捉えたことは、かなり素朴なことで、しかも、コロナがなくても存在している根本的なことなのです。
もちろん、わたし自身の小さな経験の範囲の話ですから、すべてに通用するわけではありませんが……。
職場で経験する、職員間、職員と顧客との間の関係性だけではなく、職員と家族・恋人・友人・その他の様々な関係性(この中には故人も含まれます)にまつわる課題が、コロナの感染という要素が加わったことで、問題として顕在化するケースが多いという印象です。
眼に見える「クラスター」という現象が職場の中であっても、それによって影響を受ける関係性は、職場の外につながっています。社会全体のムードとして、人と人との実感を伴った「関わり」が希薄化する中で、危機的な状況下での職務ストレスのみならず、長期的な関係性の変質による精神保健上の問題も出てきているようにおもいます。この両者が合わさってしまうことで、不調に陥ってしまう方もあるのではないでしょうか。
職場の人にはあえて話していないような、個人の胸の中の外傷体験が、コロナの業務ストレスによって再燃するケースもみられます。単にコロナのせいではなく、コロナで隠せなくなって、ストレス障害(例えば、集中力が落ちる、イライラする、眠れない、疲労感がとれない ➡➡ 辞めたい……等)として出てきたという状態なのです。
そんなことは職場の問題ではないと思われる経営者や管理者も少なくないでしょう。けれど、本来、人間の精神は物理的な空間や社会的立場で分けられるものではないのです。
職場以外での経験も、職務に影響しますから、システムのパーツのようなわけにはいきません。けれど、人は人にうけとめられることで元気になって、自ら立ち上がって行く強さももっていますから、ちょくちょくメンテナンスしておけば、より強く優秀になる可能性も秘めています。
以前から、メンタルヘルス不全に陥って心理カウンセラーや精神科医にお世話になる前に、日常的に生じる解決できない様々な思いを安全な誰かに受けとめてもらう機会があるといいなと思っていたのですが……
ここに来て、自ら機会を得て実践してみると……
やはり、できることならそういう機会があったほうがいいなと思います。コロナ禍のような、高ストレス状態に遭遇したときに踏ん張って機能しつづけるためにも……。実際、わたしがお話をうかがうだけで、元気になられる方が大半のようです。
陸の孤島のようなこのサイトにあるこの記事を読まれる方が、将来にわたってどのくらいになるのか……検討もつきませんが……
読まれる方の中には、「どんなケースがあるのか知りたい」「どんな聴き方をしたらいいのか方法論が知りたい」など関心を持たれる方や、「従業員の力になりたい!」と胸を熱くされる方がいらっしゃるかもしれませんね……。
ケースに関しては……現実には、どんなに事例を重ねても、同じ事例などないわけですし、
方法論に関しても……特効薬のような方法があるわけではないのです。
ただ唯一の大切なことは……
いつも新しい態度といいますか、
いつも「自分はその人自身の経験を何もわかっていないのだ」と思う謙虚さといいますか、
それゆえに持たざるを得ない少々の不安や恐れを抱きながらも、真摯に相対する勇気といいますか……
そうしたものだとおもいます。
つまり、その人にとっての大変さに耳を傾けることが大事だなとおもいます。誰でもできることなのです。
聴いてあげるとか、何かしてあげるとか、そういうことではなく……相手の方が生きている「その人の時間」をともに生きるということが、支援としてもっとも大切なことなのです。
たくさんのクラスターが発生していますが……
どうか、クラスターという現象に煽られたり惑わされたりすることなく……
人に対する人としての精神の在り方、どのようなときも人を人とみる基本姿勢を忘れずに……
自分の尺度や枠組みで相手を切り取ることなく、許しの姿勢で当事者に向き合う方が増えていきますように……。
許しの姿勢は、まことのケアにとって大切なこと。それは、しかる後にやってくる結果として、心の傷につける薬になったり、元気のない心の滋養になったりするものだとおもいます。目に見えない心のクスリや滋養は、意図して与えるのではなく、結果として与えられるものなのだと思います。
つたない言葉で、どれだけ伝わるかわかりませんけれど……
どうしても気になるので書いてみました。
コロナ……おさまってほしい気持ちですが、長丁場になりそう……。
ともに、賢く乗り越えたいものですね😊