かんごの木の近況

2021年7月2日

コロナ禍も2年目で、引きこもりも板についてきた昨今……

長時間にわたる研修の講師をしていた自分を、忘れつつあります。いまは、2週に1度、ピア・スクール(障碍福祉分野)の外部講師で外に出る機会があるくらいで、あとは、ほとんどの時間を自宅で過ごしています。

自宅にひきこもって、冬眠のように何もしていないように見えるかんごの木ですが、具現化したい世界に向かって、それなりの努力をしています。していることは、主に執筆。あとは、研究会の裏方しごとなど。ほとんどがボランティアです。

努力は、楽しめる範囲にとどめています。頑張るのだけが取り柄だったのですが、ゆっくりと人生を振り返り、頑張ってもいいこと無かったな……と思ったので、極力、頑張らないことにしたのです。

頑張って難行苦行を背負ってしまったり、無理をして走ったりしてしまうと、長い時間をすごすうちに、自分の内側に欲求不満の澱のようなものがたまってしまうのです。そんなことになると、成果を求めすぎてしまったり、小さなチャンスに大きすぎる期待をしてしまったりしがちです。それは、関わる他人に対して、いらぬ要求することと同じだなと気づいたのです。

結果的に自分の首をしめたり、仕事のクオリティが下がってしまったりすることになりますよね。

なので、無理はしない。独りでできることを、少しずつ着実にする。力がないなら、継続して、時間で積み重ねる……それも悪くない方法だと思うようになりました。

ところで……

ご依頼いただいてのお仕事の一つに、連載の執筆があったのですが、それも頑張らずに書くことを心掛けてきました。極力、考えずに書き、流れにイメージが載る文章を書こうとしてきました。

先月20日の最終回の入稿とともに、手離しとあいなりましたが、よい経験になりました。

隔月発行の雑誌なので、全部で6回、1年間の連載だったのですが、途中で1回増えて、予定よりも多く書かせていただきました。

内容は新人教育における『共育の実践』です。主に対話の方法で、原理はひどく単純なのですが、大事なのは「それで何をやっているのか」「どこに向かっているのか」を熟知した上で実践することなのです。

そこをダイレクトに説明しだすと、非常に難解になって、読みたくなくなります(笑)

自分でも書いていて楽しくありませんから、読み手はなおさらです。

けれど、やはり、楽しいばかりでは「結局何をやっているのか」を理解してもらうことが難しいので、先日入稿した最終回では、楽しくない感じのものも書かせていただきました。記述が難しく、久しぶりに難産でした。

新人教育と、組織づくりが連動するおはなしで、わたしとしては、最も大事にしてきたこと、かつ、言いにくい事でもありました。

一言で言えば……

本気で自律したナースを育てたいなら、単に教育担当者の関わり方を工夫するだけでは失敗するよ

……というお話なのですが……

そう言葉にするだけでは、実感がわかないわけです。

長く自律的な思考と判断が抑圧されてきた看護職の職業的な歴史と、そこで培われてしまった前世代的な負の遺産を、どのように伝えたらいいのか、とても迷いながら率直に書かせていただきました。

OKが出ないのではないかと思いましたが、賛同を得て、修正オーダーなしで組版にまわしていただきました。デスクがわたしの思想に理解のある方で本当にありがたく、つくづく、仕事は精神が添う人とするものだなと思いました。

学校では教えない、実践もままならない共育なのですが……

教育実践を経験してきたわたし自身の実感では、これほど人がのびのびと力を発揮できる人財育成の方法はないとおもうのです。

現代的な教育システム・カリキュラムの枠のなかでは、とても実践しにくく、そのせいか、わたしの居場所は大学のなかにはみつけられず、ドロップアウトしてしまいました。

高等教育の現場を離れて10年余り……やっと、自分がしてきたこと・大切にしてきたことを言語化できるようになったので、これから、具現化できる場を育てて行けたらいいなとおもっています。

学校をつくるのではなく、人対人の対話の場をつくるというかたちで。

人の数だけ探究のストーリーを産み出せるような、実務者の対話の場をつくれたらいいなと夢を膨らませています。それは、わたしが長く研究してきた働く人の心の健康を支援することともパラレルです。

人の成熟過程に立ち会うことは、わたしにとって何よりの喜び……

理解者に出会うことができ、実現しますように。


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